ジロ、この冬6回目の風邪で学校欠席です。今回は鼻水と発熱。今日のタロの送りは夫、帰りは夫は難しいということで、今回もまーちゃんママのご好意に甘えることになりました。いつもありがとうございます…。
さて、思いがけず、一日家で過ごすハメになってしまい、帰国に向けての準備に少し取りかかることにしました。といってもまだ手を付けるには早いので、荷物の仕分けをメモしていきます。
で、家の中を見渡し、とりあえず本は船便だなあ、と。しかし、一体何を考えてこんなに本を日本から持ち込んだものかと、頭を抱えてしまいます。海外生活が初めての私は、渡蘭前に何かの本で、『日本語が恋しくなるから、日本の書籍はなるべく持って行った方がいい』というアドバイスに従って、読みたくなるであろう本を、沢山詰め込んでしまったのです….。実際海外生活を送ってみて思うのは、インターネットがこれだけ普及しているので、それほど日本語を恋しく思うことはなかった…ということです。新聞大好きだった私も、ネットニュースで社説やコラムを読むことも可能。それでも、やはり『本』そのものが恋しくなることはやはりありました。なので、時に睡眠不足になりながらも、日本から持ってきた本をむさぼるように読むことも何度かありました。
問題は、夫のために、と思って持ってきた本の数々。夫、余暇として本を楽しむ時間は皆無、でした。冷静に考えればわかったことですけど、渡蘭前、夫に代わって荷造りをしていた私、『この本はきっと彼が読みたくなるだろう』という自己判断のもと、なんだか十数冊ハードカバーの本を詰めておりました。バカですねー(^^;)
せっかく海を越えてやってきた本たち、読まなくてはかわいそうと、夫の代わりに私がせっせと読んでおりました。というか、もともと私も身近においておきたいと思っている本たちなので、夫の本=私の本でもある訳ですけど。
何度も読んだ本でありながら、オランダで読むと、また違った感じ方をするものです。
オランダで改めて読んで、深く考えさせられた本たちの中の一冊はこちら。
語り伝えよ、子どもたちに ホロコーストを知る
S. ブルッフフェルド P. A. レヴィーン 高田 ゆみ子 / みすず書房
ナチスドイツのユダヤ人に対して行われたホロコーストについて書かれた本。この本がスウェーデンの公共教育プロジェクト『生きている歴史』の一環として書かれたものであるということに驚きます。スウェーデンの首相がホロコーストについて知っている国民の少ないことに危機感を感じ、民主主義の価値と、人間のモラル、社会倫理について子供たちと語り合う機会を作るべきだと考え出されたプロジェクトです。子供のいる一般家庭に注文書が配られ、発注した家庭に届けられるというシステムにも驚きます。そして多くの家庭が首相の趣旨に賛同しこの本を手にしたのです。
オランダに来て初めての夏、アムステルダムのアンネ・フランクの家を訪れた後、この本を改めて読みました。アンネの家で感じたのは『ここに確かにアンネが住んでいたのだ、未来の希望に溢れる聡明な少女が、ゲシュタポから身を隠し、息を潜めるようにして住んでいたのだ』という、生身の人間が確かにここにいた、という感覚でした。
ホロコーストで殺戮された人が600万人と言われると、なんておそろしいことを…と思うものの、その数に圧倒されるのみで実感が薄れて行くけれど、その600万人には、一人一人、将来の夢があり、愛する家族があり、血の通った人間だったのです。この本にはそういった一人一人の背景に触れられている箇所がいくつかあり、『ホロコースト』が遠い昔におこったこと、ではなく、自分の身に置き換えて、今現在の自分と照らし合わせて、考えることができるのです。
タロとジロが生まれ、親としての立場でこの本を読んだとき、殺されていったユダヤ人の無念が胸に響きました。殺戮を繰り返すナチスもまた、人の子であり、人の親だったりするわけです。強制収容所にいれられた家族の話を描いた映画
ライフ・イズ・ビューティフルを観たときも、同じく胸が締め付けられました。もしこの時代に生きていたら、親として何ができたか、どれほどの絶望に襲われただろうか、と。
ホロコーストを過去の出来事として片付けることなく、人間はこんな残虐なことをしうる生き物だということを、今もこれからも胸に刻んでおかなくてはならないと思うのです。それには『語り伝える』ことです。
過去の戦争で一体何が起こったのか、世界でどれだけの人が死んだのか、日本では一体何があったのか、日本人は何をしたのか。子供たちに語りつたえることは親としての責任だと思うのです。この本についてもいつかタロやジロに読んでもらいたいと思います。ホロコーストは怪獣や、悪魔の仕業ではない、普通の自分たちと同じ人間がしたことであること、という事実を、しっかり見つめてそして考えて欲しいと願うのです。
アムステルダムで訪れたアンネ・フランクの隠れ家。彼女は一体どんな思いで、小さな窓の隙間からあの運河を眺めていたのでしょうか。あのアムスと同じような運河沿いを、子供たちとおしゃべりしながら歩くとき、あのような時代を二度と繰り返してはならないと思うのです。