Dear friends * Dear Holland
2006-09-29T21:25:47+09:00
shipmaker
タロ・ジロ母のちょこっとだけインターナショナルなオランダ生活
Excite Blog
細々と
http://ukiukilife.exblog.jp/3812115/
2006-09-16T13:18:00+09:00
2006-09-16T13:19:57+09:00
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ごあいさつ
備忘録ブログはこちら
いろはにABC]]>
Dear friends, Dear Holland
http://ukiukilife.exblog.jp/3376445/
2006-07-12T15:26:00+09:00
2006-09-29T21:25:47+09:00
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ごあいさつ
オランダ滞在の二年間の間に私が知り合って、親しく言葉を交わした人たちの出身国です。数えてみたら、その数、32カ国にものぼりました。
オランダは歴史的に移民や難民を多く受け入れてきた国です。特に私たちの住んでいた街はインターナショナルで、街行く人は、生粋のオランダ人以上にイスラム系、アフリカ系、インドネシア系、中国系の人たちが多かったように思います。
息子たちが一年10ヶ月お世話になったインターナショナルスクールは、オランダに親の仕事や留学などで一時的に滞在する子供を対象としています。オランダ国内にこのような公立インターナショナルスクールは8校あるらしいのですが、私たちの住んでいる街は外国企業が多く、世界的に有名な大学があるせいか、外国からの一時滞在の家族がとても多く、それゆえ、インターの生徒の顔ぶれも国際色豊かでした。
帰国して一か月が経ち、今改めてオランダでの二年間を振り返ると、オランダで出会った人たちとの交流があってこその二年間だったとつくづく思います。上述した私が出会った人たちの国の数は32ですが、延べ人数にすると100人近くになるかもしれません。家族ぐるみでお互いの家を行き来する程親しくなった友人、生涯の友と呼べる友人も出来ました。そこまで親しくはなかったけれど、数回交わした会話の中で確かに心が通った、わかりあえた、と思える瞬間のあった人たちの数を入れるとそのくらいになるかと思います。オランダに住むことがなければ出会うことのなかった人たち。出会いというのは偶然のように思いがちですが、そこには必然性もあるのではないかと思う今日この頃…。
一期一会。人生の中でこの二年間程、この言葉の意味を強く実感した時期はなかったといえるでしょう。
留学の話を夫から聞いた時、「嫌だ」と即答した私でしたが、話し合いの末、納得の上でオランダ生活を決めました。決して楽しいことばかりでなく、むしろ、苦しんだり、悲しんだりしたことの方が多かったかもしれない二年間でしたが、今となっては、このような機会を作ってくれた夫に感謝したい気持ちでいっぱいです。
息子たち。
不慣れな土地で家の中に引きこもってしまうことも充分あり得たのに、私がそれをしなかったのは、息子たちのおかげでした。彼等がインターという未知の環境で、壁にぶつかりながらも逞しく乗り越えていく過程を目の当たりにして、私がじっとしているわけにはいきませんでした。彼等を通じて親しくなったお母さん友達は私の一生の宝になりました。
私のことを姪っ子のように可愛がり、何から何まで助けて下さったお隣のマリーンさん一家、家族ぐるみで親しくさせてもらった息子たちのクラスメイト一家、英語の話せない息子たちを優しく温かく指導してくれた学校の先生方、夫と同じ研究室仲間で苦労を分かち合った仲間たちとその家族、外国生活を支えあい、助け合ってきた周りの日本人仲間たち…..。
そしてオランダという国。
自由と寛容の国、という言葉通りの国でした。日本人から見ると成熟した大人の国に見えました。もちろん、決していいところばかりの国ではなかったのですが、帰国した今、様々な社会問題を抱える日本にいると、オランダの生活スタイル、人生における優先順位(価値観)など日本人が真似してもいいのかな、と思うところが多々あります。
オランダで出会った沢山の人たちに感謝。オランダという国で過ごせたことに感謝。いろいろ壁にぶち当たりっぱなしだったけど、なんとか健康で無事に二年間を共に過ごしてきた家族に感謝。そして日本で応援し、支えてくれた家族や友人に感謝。
そして、このブログに訪れて下さった皆さん、コメントを下さった皆さん、これまで本当にありがとうございました。
ブログでオランダ生活を記録してみようと思ったきっかけは、日本にいる友人に近況を伝えたい、という気持ちからでした。と同時に、当時外国語の環境下ですごす子供達の情報をインターネット上でなかなか見つけられなかったため、それならば息子たちの奮闘記をリアルタイムで記録してみよう、という思いもあったのです。頂くコメントの中に、「我が家も同じです」「タロくん、がんばってますね」などの言葉を見つける度に、大きく励まされ、ブログを続ける意味を見いだしながら、今日までやってきた次第です。
そんな息子たちを中心とした家族の記録も、今日で終わりです。ざっとこれまでの記録を振り返ってみると、なんだかもう夢の中の出来事のような、遠い記憶になりつつあります。でもそこには確かに踏ん張って、頑張った息子たちの姿、試行錯誤でおろおろしながらも奮闘した私の姿があります。いつかこれらの記録が私たち一家を励ます日もあるのかな、なんて思ったりもします。大事に大事に保管しておきます。
これまでブログを訪れ、励ましのコメントを下さった皆様方、本当にありがとうございました。オランダ生活が終わるまで続けよう、という目標を達成できて、ホッとしています。終わりを迎えるのは少々寂しい気持ちですが、我が家は既に日本での新たなスタートをきりました。また日々新しい出来事や出会いの連続です。一日一日を大切に、一つ一つの出会いを大切に、日々過ごしているところです。
ひょっとしたら、いつかどこかで、その後のタロジロをひっそり記録に残しているかもしれません。またいつかブログ上でお会いすることもある…かも?あるかな?
感謝を込めて See you again! Tot ziens!
Shipmaker
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帰国後の子供達・3 日本語と英語
http://ukiukilife.exblog.jp/3341885/
2006-07-04T22:09:26+09:00
2006-07-04T22:09:26+09:00
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英語*子供たち
子供達ですが、日本語100%の小学校と幼稚園で一体どんな風にすごしているのでしょうか。タロとの会話の中で、彼が『全校集会』とか『清掃』とか『保健室』といった単語に戸惑っていることがわかりました。オランダでも家の中では日本語の会話でしたが、家の中で私と子供たちが交わす会話と、日本の小学生が学校で使う言葉には大きな開きがあることを改めて実感する日々です。一方のジロは、次々と新しい言葉を覚えて帰ってきます。『お当番さん』『召し上がれ』『七夕』『短冊』などなど。
二人は新しく学ぶ日本の言葉をどんどん吸収していきます。知らない言葉も周りの友達の反応や状況から英語に置き換えて理解をしているようですね。面白いのは、ジロ、幼稚園で運動会の鼓隊の練習をしたらしいのですが、『今日ね、オレね、drumをしたんだよ。stickをね、こう持って、先生がone,two,threeっていったらね、とんとんとんってこうやるの』なんて話してくれました。先生は太鼓、バチ、いち、に、さんって言ったはずです。それがジロの頭の中でどういう風に英語に変換されて、どういう風に先生の指示を理解したのか、彼の頭の中をのぞいてみたい気分です。
タロとジロは二人きりで遊ぶとき、自然に英語になります。日本人の友達が入ると日本語なのですが、二人の間では英語が楽なのでしょうか。
そんな二人に、英語の個人レッスンの先生をみつけてきました。
オランダにいるとき、タロの英語、日本語ともに言いよどみがひどく、幼少期に母語以外の外国語を学ぶことの怖さを知った私です。同年代の子に比べて日本語の語彙が圧倒的に少なく、会話力も低い彼等に、今、英語を続けさせる意味はあるのでしょうか。
その理由は三つあります。
一つ目は、タロもジロも日本語と英語の能力が拮抗している現状では、二つの言語が互いに影響を及ぼしあって、どちらも発展させてくれるのではないか、という考えからです。厳密には読み書き、会話、聞き取りなど、全てが拮抗している訳ではなくて、それぞれの能力において英語が優っていたり、日本語が優っていたりする訳ですが。タロの場合、言いよどみがあるのであれば、言語を一つにしぼって、日本語を集中して学んだほうがいいのではないかと、随分悩みました。でもタロが好んで英語を話す状況で、それを無理に止めるよりも、英語の会話、読み書きを続けることで、日本語の能力もひきあげられるのではないかと考えたのです。得意な方の言語をベースに苦手な言語を発展させていく、そんな可能性があるのではないかと。
二つ目は、タロに得意なものを残してあげたいという思いからです。日本の学校では、全てが初めて。二年生でありながら一年生と同じように、何から何までわからなくって、一つ一つを先生や友達に教えてもらわなくてはならない学校生活で、これだけは誰にも負けない、これには自信がある、というものが英語だとしたら、その砦を取り去ってしまいたくなかったのです。国語で漢字が苦手でも、算数の文章題が苦手でも、僕には英語がある、という心のよりどころは幼い子供にとって重要だと思ったのです。
そして三つ目。私自身が二年間英語を使って感じたこと。英語はとても便利だということです。インターナショナルなオランダのとある街で、インターナショナルスクールに子供を通わせて思ったこと。様々な国から来られている人たちの母語を話すことは出来ません。相手も日本語は話せない。だけどお互い英語が話せれば、コミュニケーションが出来るんですよ。素晴らしいことですよね。タロにもジロにもオランダのインターで沢山の友達が出来ました。その友達との貴重な出会いを大事に続けていきたい。だとしたら、英語は必須です。再会した時に、ちゃんと話せるように、友達としての繋がりを保ち続けるために、彼らにとって英語は重要なコミュニケーションツールなのです。
友人の紹介で知ったJ先生は50台のアメリカ人男性。陽気で朗らか。自転車で我が家まで出張レッスンに来て下さいます。タロもジロも水を得た魚のように、しゃべるしゃべる。止まらない。週に一回のこの時間が、タロとジロにとって楽しい時間であるうちは続けていこうと思っています。日本語があまり得意でないJ先生と、英語で話さざるを得ない私にとっても、英語をキープするいい機会になりそうです。]]>
帰国後の子供達・2 ジロの場合
http://ukiukilife.exblog.jp/3323801/
2006-06-30T22:36:16+09:00
2006-06-30T22:36:16+09:00
2006-06-30T22:36:16+09:00
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学校
オランダにいるとき、帰国後の話になって、タロが「オレは小学校二年生、ジロは幼稚園だね」って言ったら「えーーー!オレもschoolがいい!」とブーイング。オランダですでに小学生になっている気のジロ(実際色々勉強してます)、日本で幼稚園というのが納得いかないらしい。いや、でも実際幼稚園っていう言葉の意味を知っているのか??でも一応、プリスクールという言葉を使って、ジロも学校だよ、と説明しておきました。
正直、タロのことが心配で、私自身、日本で親としての小学校は未体験だし、タロの学校のことにばかり気を取られて、ジロの幼稚園の面談のことをすっかり忘れておりました(^^;)タロの小学校のことばかり話していて、夫に「ところで、ジロの幼稚園はどうすんの?」って訊かれて、
え?(・o・)
おーー忘れてた〜〜って慌てて幼稚園にアポを入れる始末。ごめんよジロ。
我々は渡蘭前に住んでいた市に帰れることになったので、なるべく以前住んでいたエリアに近い住居を探し、見つけることが出来ました。なのでタロが通っていた幼稚園にジロも行くことになり、私としては慣れ親しんでいる場所故、どうしても気が緩んでおり…。先生方もタロのこと、タロにくっついて幼稚園に来ていたジロのことを覚えていて下さいました。年長さんとはいえ、日本での集団生活の経験が皆無のジロ。年少さんと同じように手がかかるかもしれない、という私の言葉に先生方は大丈夫ですよ〜と温かく迎えて下さったのでした。
最初はタロの初登校と同じ日に初登園を考えていましたが・・・終わらない。名前付け(涙)。タロを優先させたためにジロの名前付けが間に合わず、仕方なく二日遅れで登園することにしたのですが、ジロは激怒。タロが学校に行ってしまって、私も夫も片付けや手続きのためにジロの相手をしてやれず、「つまんなーーい。早く学校行きたいーー!」と二日間言い続けておりました。その二日間で幼稚園生活への憧れがふくれあがって、初登園の日は喜びが大爆発!幼稚園まで送った私の方を振り返りもせず、飛び上がるようにスキップしながら園に入っていったジロでありました。
ジロは物怖じしない性格に見えるかもしれませんが、実はここぞというとき、怖がったり、臆病になったりしちゃうのです。初めての日本の幼稚園、それもこれまでタロと一緒だったので、タロの不在に心細くなったりしないかな、という私と夫の杞憂は...一蹴されました(笑)。その後数日に渡って、担任の先生からジロの様子について電話で報告があったのですが、それは私たちを驚愕させるものだったのです。
初めての集団生活がオランダのインターということもあって、日本人として身につけるべき様々な生活態度、生活習慣、学ぶべきことがおろそかになってしまう、と心配し、オランダ滞在中私なりにいろいろジロに教えてきました。しかし、ジロはことごとく拒否。例えば箸を使うこと、日本独自の食材(乾物など)を使った料理を食べること、ひらがなに慣れること。全部嫌がりました。無理強いしても逆効果と考え、結局オランダ滞在中には箸も使えない、偏食著しい、自分の名前をひらがなで書くのがやっとの5歳児だったわけです。
ところが、ところが。若くて優しいお姉さん先生に「ジロくん、先生と一緒にこのブロッコリー、パクってしちゃおうか!」って言われて、パクッとしちゃったんですよ!ブロッコリ!あの偏食男、ジロが。おまけに切り干し大根も!ほんでもって、箸を自ら使うようになりました。幼稚園児、日本人としての自覚でしょうか!?さらには、幼稚園の工作の時間に父の日用の作品を作ったのですが「びーるもてくるけん(ビールを持ってくる券)」「こしをもむけん(腰をもむ券)」など、ひらがなで書いているではないですか。あれほど平仮名を書くのに拒否的だった彼が!!もう信じられないことの連続です。
オランダのインターで、自主的であること、個性的であることをよしとされ、協調性のかけらもなかったジロが、お友達から色々教えてもらいながら、園の一日の流れについていっている。それだけで驚きです。日本の幼稚園でみんなと一緒に一斉に何かをすることが果たして彼に出来るのか、とても不安でしたが、楽しい雰囲気のもと、ジロは目一杯楽しんでいるようです。いやー幼稚園恐るべし。ミラクルですね。マジックですね。
かくして、毎朝、タロが家を出たあと、「まだ行かないの?まだ行かないの?」と玄関先で20分以上も待っているジロなのでした。幼稚園に行くのが待ちきれないって訳です。まだ時間が早いんだよ。もうちょっと家でのんびりしておくれよ、と嘆く日々なのでした。
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帰国後の子供達・1 タロの場合
http://ukiukilife.exblog.jp/3314654/
2006-06-28T21:46:00+09:00
2006-07-04T22:32:51+09:00
2006-06-28T22:35:49+09:00
shipmaker
学校
そして帰国10日後に、まずタロが小学校に初登校しました。日本の法律では転居後二週間以内に居住区の学校に行かせること、となっています。オランダでは学用品は全て学校で共用していたので、タロ用に必要な学用品、指定の上履き、体操着などを準備し、なおかつ記名をするという、おそろしく気の遠くなるような作業があったのですが、できるだけ早く学校に行かせたいという思いから、深夜まであれこれ記名をし、書類を書き込み...と母は頑張りましたよ。
オランダでのインターのクラスメイトや先生と別れる時は、意外にあっさりしていたタロでしたが、インターの自由な雰囲気、気心の知れたクラスメイトと別れ、また新しい環境に突入する訳です。学校の始まる数日前から、祖父母の家から私たちの待つ新居にやって来たのですが、学校のことに触れると、かなりナーバスな表情になってました。
初登校の一週間前、私は居住区にある学校に電話でアポを入れ、担任の先生に挨拶がてら、いろんな説明を受けてきました。担任の先生は年配のベテラン風の女性の先生でした。とても幸運なことに、その先生は私が説明するタロのオランダでの二年間、そして現状をとても親身になって聞いて、そして理解を示してくれました。英語と日本語が拮抗していること、読み書きは英語の方が優っていること、それゆえ、日本語に言いよどみが見られるし、先生や友達の話す日本語の理解が十分でないだろうということ、さらには日本の小学校の授業形態や、給食、清掃など、あらゆることが初体験で戸惑うであろうということ。私の不安に対し、先生はできるだけ気を配り、きめ細かに指導していきますとおっしゃって下さいました。
そして初登校の日。校長への挨拶もあることから私も一緒に登校しました。この学校は、以前イギリスからの帰国子女の低学年の子を受け入れたことがあるそうですが、その子は初登校の日、教室の雰囲気に緊張し、廊下で立ちすくんで泣いてしまったそうです。それだけ子供にとっては学校が変わる、いくら母国とはいえ、初めての日本の学校へ転入するというのはストレスなのだと思います。タロの顔も緊張していました。おじいちゃんおばあちゃんからのプレゼントの紺のランドセルがタロの背中でピカピカ光っています。
「****タロです。よろしくお願いします。」
インターでは13人という少人数クラスでしたが、ここでは28人のクラスメイトの目が一斉にタロを見つめます。その中で、少しはにかみながら、きちんと挨拶したタロでした。
担任の先生は事前に生徒たちにこう説明して下さったそうです。
『タロくんはみんなが日本語の中で過ごして、日本語を勉強している間、英語を勉強していたんだよ。だから日本語があまり得意でないかもしれない。日本語がスムーズに出て来ないかもしれない。でも決して笑っちゃダメ。みんなが漢字や日本語のお話が得意な代わりに、タロくんは英語で読み書きできるんだよ。タロくんからオランダのいろんなことを聞こうね。楽しみ
だね。』
低学年の子にとって担任の先生の一言程絶大なものはありません。タロの言いよどみも、給食のときどうしたらいいかわからなくて戸惑う時も、誰も笑わず、からかわず、みんなタロに親切に教えてくれるようです。
タロの学校生活も3週間目に突入しましたが、最初はかなりイライラしていました。宿題は?って言うだけで「もおお〜〜〜」といってランドセルから乱暴にノートを取り出したり、ジロに当たったり。最近ようやくぴりぴり感がなくなったように思います。そして、学校教育ってすごいなあ〜と感心するのは、私がオランダでどれだけ教えても教える側から忘れていってしまう漢字を、きちんと覚えて、しかも楽しそうに書くようになりました。さらに日本語の音読も、オランダにいる時は大嫌いでいやいや読んでいて、そのためか「んー****」「んー####」というように、文頭の言葉が焦って出て来ないのでした。それが今や、つっかえることもなく、「んーー」もすっかり消えてしまいました。
初登校の週にさっそく参観日があって、しかも自由参観ということで一日、どの時間帯でも、何時間でも自由に観ていいというものがありました。そこでは、道徳の授業で訊かれていることがわからず、あきらかに退屈してくにゃくにゃと机にへたっているタロの姿や、またその反面、算数でいきいきとプリントの問題を解いて、となりの子に教えてあげている姿を観ることができました。学年の合同体育ではクラスメイトの男の子に「行くぞ〜」って手を引っ張られて嬉しそうなタロの顔も観ることができました。
あれこれ気をもむのは親の性分で仕方ないですね。でもそんなハラハラドキドキの母をよそに、タロはオランダで乗り越えた試練を糧に、日本での新たな試練も逞しく乗り越えようとしているのでありました。]]>
無事帰国しました
http://ukiukilife.exblog.jp/3192992/
2006-06-06T19:01:00+09:00
2006-06-29T06:23:46+09:00
2006-06-06T19:09:04+09:00
shipmaker
ごあいさつ
頂いたコメントにはゆっくりお返事させて頂きますし、いつもお邪魔させてもらっているブロガーの皆様のところにもあとでゆっくりお伺い致します。
オランダを去るまでの日々の記録も少しずつ更新していくつもりでいます。(更新しました。さかのぼって読んで下さいね)
取り急ぎ、無事帰国のお知らせまで。
最後の日、離陸の瞬間の心境を思い返すといまだに胸が熱くなるshipmakerでした。
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オランダ最後の日
http://ukiukilife.exblog.jp/3290505/
2006-06-02T21:32:00+09:00
2006-06-23T22:13:03+09:00
2006-06-23T22:09:27+09:00
shipmaker
エトセトラ
学校最後の日、お別れの悲しさに浸りながらも、実はフラットの受け渡しのために、全ての私物をスーツケースに詰め、きれいに掃除をするという仕事を完了させねばならず、フラットを出るころには、意識は朦朧。荷物がなんとかスーツケースに入ったことに安堵しながら、市内のホテルに向かったのが夜の8時近く。最後の夜は、市内でも評判の良いホテルに家族みんなで泊まり、遅い夕食をとり、泣き疲れと、肉体労働の疲れでバタンキューでした。
で、最後の日ですが、夜8時発のフライトなので、一日たっぷりあります。しかし、夫はこの日も朝からミーティング。実は夫が最後の最後まで苦労している論文はスイスのベルン大学との共同研究で、スイス側のデータ解析が遅れているためになかなかスムーズに進まず、オランダ最終日になっても投稿できなかったのであります。普通?は帰国が間近になると、心残りのないようラストスパートで旅行に行かれる家族が多いようですが、我が家は夫がこんな調子なので、最後の最後まで特別なことは何もなし。いや、もうここまで来たらいいんです、無事に帰れるだけで。
それでも午後にはホテルを出発し、一旦スキポール空港に行って荷物を預けた後、ライデンでのんびり過ごしてきました。この街はレンブラント生誕の地。ライデンは大学の街月涼しーという歌にあるように、オランダ最古の大学があって、学生街特有の若々しい活気に満ちているように感じました。
博物館も充実しているのですが、今回は時間の都合で、市街を流れる運河、風車をながめながらの散策のみ。最後にオランダらしい風車と緑、そして運河という風景を存分に楽しみました。
チェックインの時間もまだまだ明るいオランダ。スキポール空港内の国立美術館の特別展を眺めたり、お土産を買ったり、心は徐々に帰国モードに。
*
そして搭乗手続き。満席のJALに乗り込み、席に座ったとたん、ドッと疲れが出てきました。無事に帰国までたどり着けた安堵感というのでしょうか。終わった....っていう感じです。安堵。そして充足感。
そしていよいよ離陸です。飛行機の離陸って、気持ちが高揚するのは私だけでしょうか。ゴーッという音がどんどん大きくなり、加速が増して、そしてふわっと宙に浮く。そしてさらに飛行機は上昇を続け、眼下に今まで足をつけていた街が見えてくる...。
オランダに行く時の、成田からの離陸の瞬間は、非常に心細いものでした。二年間は戻って来れないのだ。私はこれから未知の世界で頑張らねばならないのだ、と。
そして今回のオランダからの離陸。ゴーーッという轟音の中、私の頭に走馬灯のように二年間のいろんなシーンが次々によみがえってきました。楽しかったことも、辛かったことも。笑ったこと、泣いたこと、沢山の友達の顔、子供達の成長の軌跡.....。
涙が止まりませんでした。号泣、というのではなく、静かに泣きました。涙がボロボロこぼれて止まらないのです。夫がそっと肩をとんとん、とたたいてくれました。眼下にアムステルダムの街並がどんどん小さくなっていきます。
ああ、ホントに終わっちゃったんだ・・・
「おかあさん!?泣いてるの?悲しいの?」
と、ジロの甲高い大声に我に帰る自分。感傷にひたる暇もないな(笑)。
「お母さんね、オランダ楽しかったからお別れするのが寂しいんだよ。でもまた来ようね。またオランダの友達に会いに来ようね」
「うん!!」
西の空には何時間にも渡ってこの真っ赤な太陽が見えました。
さよなら、オランダ。]]>
See you!*お別れ・タロジロの場合
http://ukiukilife.exblog.jp/3279032/
2006-06-01T22:54:00+09:00
2006-06-21T17:03:29+09:00
2006-06-21T17:02:21+09:00
shipmaker
友達
タロの場合は、友達との別れ、もっとオランダでの学校生活を楽しみたかったという思い、トラムに乗れなくなる寂しさ、新生活への不安、などなど、複雑な思いがあったようで、時々神妙な顔をしていましたが、それでも大泣きしたり取り乱すことなく学校最後の日を終えました。
ジロにいたっては、一ヶ月前くらいから、後何日寝ると日本に帰れるのかと、カウントダウンしている始末。ただ単に飛行機に乗ること、日本で美味しいものを食べられること、おじいちゃんおばあちゃんに会えること、という事実に興奮しているジロなのでした。
学校最後の日、彼等のクラスで簡単なお別れの会を開いてくれるということで、クラスメイトに配るカードとちょっとしたtreatを準備し、私も参加しました。カードには二人の写真と新住所の連絡先、今回二人にそれぞれ作ったメールアドレスを記載してあります。treatにはブックマークやこまなどのおもちゃ、チョコバー、そしてタロと二人で作った折り鶴をいれました。
まずは学校最後の日で、興奮の絶頂のジロのクラスから。「I’m going back to Japan tomorrow!」をみんなに向かって連発しておりました。朝のセッションの時間、みんなで丸く輪になって座っております。担任のマロウがジロはどこに帰るのかな?オランダからどのくらい離れているのかな?などみんなに質問します。日本語でgood byeはどう言うの?とジロに訊いて、答えられないジロ…..おい!!私が「サヨナラ、です」と助け舟をだし、みんなSAYONARAの大合唱。用意したカードとtreatを配り、最後にみんなで記念写真を撮って終了。クラスの主役となって興奮気味のジロと対照的に、これまで仲良くしてきた、イアンやモテーオの顔が曇り気味で、しんみりしていたのが印象的でした。
クラスのみんなからもらった寄せ書き。まだ字がうまく書けない子は、マロウが代筆してました。手形つき。最後のページは学校の先生方全員のメッセージが。
一旦帰宅し、帰国に向けてスーツケースのパッキングや掃除に励んだあと、夕方再び学校へ。今度はタロのクラスです。タロのクラスでは担任のアリーが、タロに関する思い出を一人ずつ語らせてくれました。何かある人〜〜の声に、みんな一斉に手を上げます。「タロは優しかった。決して人をはたいたり、押したりしなかった」「タロは優しい人で、いつもスペリングを教えてくれた」「タロとサッカーをすると、楽しかった」「タロが僕のうちに泊まりにきてくれたときゲームをしてとっても楽しかった」etc,etc….
タロはアリーのとなりにニヤニヤしたり、はにかみながらみんなの話を聞いています。最後にアリーが一言。「タロ、覚えている?最初あなたがG4に進級したばかりの頃、親友のハスムスが帰国して、友達がいなくて元気がなかった。でも….今はどう!?クラスみんなとこんなに仲良く楽しく過ごしている!素晴らしいことよ。きっと日本に帰ったらまた新しい学校、新しい仲間のなかで慣れるまで時間がかかるでしょう。でも。忘れないで。あなたはこうやって沢山の友達を作ってきた。また作ればいいのよ。日本でも元気で活躍して下さい」
クラスメイトの言葉、アリーの言葉を聞きながら私の方がじーんときてしまいました。ありがたい言葉です。よかったねえ、タロ。
タロがもらった寄せ書き。タロが電車好きということで電車(機関車?)の絵と、何故かトラの絵が描かれています。クラスメイトのサインとこれまた先生方のメッセージ。
放課後、私がママたちからのお別れの抱擁の嵐を受けて、涙でぐちゃぐちゃの顔をしてる傍ら「早く帰ろうよ〜」と怒るジロっち。はいはい、わかりましたよ。お世話になった先生方にバラの花を一輪ずつ手渡して、校庭で「See you!」と大きな声で別れの挨拶をするタロジロ。最後まであっさり。涙なしのお別れでした。子供はこんなものでしょうかね。
さて、この日、最後にさよならの挨拶をしたいと、ゆーちゃんとゆーちゃんママが我が家を訪れてくれました。天気もよかったので、我が家の前で遊ばせて、ゆーちゃんママが面倒を見てくれました。私はその間、最終のお片づけ。ゆーちゃんママには最後の最後までお世話になりっぱなしでした。
スーツケースに全て荷物を詰め込み、部屋の掃除も終わって、ゆーちゃんともお別れです。ここでも涙でウルウルのママたちと違って、子供たちはまるで、また明日会えるかのような感じで「じゃあね、またね」なんてあっさりした挨拶。でもこんなものかもしれませんね。お別れを惜しむ、悲しむという感情はもうちょっと成長してから感じることが出来るのかもしれません。それでも二年間仲良くしてきたタロとゆーちゃん。最後に握手をさせた時は、二人とも笑顔の中にかすかなかげりが見えた気がしました。それでも元気にバイバーイ!
でもね。See you, なんですよね。一生の別れじゃない。またあおうと思えば会える人たちなのです。子供たちの言う通り「じゃあね」「See you」という挨拶はある意味正しいのかもしれません。
きっとまた会える!
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抱擁の嵐*お別れ・私の場合
http://ukiukilife.exblog.jp/3265639/
2006-06-01T22:10:00+09:00
2006-06-18T22:30:04+09:00
2006-06-18T22:23:58+09:00
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友達
子供達の学校生活を通して、私は沢山の友人に出会うことが出来ました。毎日の送り迎え、子供の交友関係、学校行事のお手伝いetc これらを通して沢山のお母さん方と友達になったのです。生涯の友と呼べる友達も出来ました。その友人たちからもらった沢山の温かい言葉、気持ち、触れ合い。慣れない外国生活で、お互い励ましあい、支えあい、子育てや仕事のこと、人生について、いろんなことを語り合ってきた友人達です。
子供達学校最後の日は私にとっては、まさに別れの悲しみのピーク。子供達が直面した様々な困難、それを見守るしかなかった自分、支えてくれた先生方、そしてママ友達。入学当初の辛かった思い出から、その後子供達を通して広がっていった友人との交流。いろんなことが一気に思い出されます。
その前日、私たちの学校最後の日には不在だというエリザベスがタロとジロのためにトラムとメトロのデザインのボールペンを持って私のところにやってきました。オランダ人で身長が180cm以上ある彼女が腰をかがめて私をハグします。私は「今までありがとう。あなたは私の拙い英語をいつも一生懸命聞いてくれた。私の話を聞いてくれた。あなたといろんなことを話せて楽しかった。ありがとう」と言いました。言いながら涙が溢れてきました。彼女はこう言いました。「You’ve enjoyed yourself! あなたはとてもオープンだった。あなたはオランダ生活を自分自身で楽しんできたのよ。あなたの周りの沢山の友達は、あなたが自分で作ってきた友達なのよ。」
私にとっては思いがけない言葉でした。必死で無我夢中だった二年間。私自身が楽しんでいた??確かに必死だったけれど、決して苦しいことばかりではなかった。楽しい努力だった。エリザベスの言葉は照れくさかったけれど、とても嬉しくありがたい言葉でした。
そして学校最後の日。帰りの直前にタロのクラスでお別れ会を見学していた私は、すこし遅れて二階から一階にタロとともに下りていきました。すると一階のホールに待ち構える沢山の人。
寂しくなるわ。元気でね。またいつか会いましょうね。日本への道中、気をつけてね。・・・
タロやジロのクラスメイトのママ達が代わる代わる私のところへやってきて握手をし、ハグをします。最初は笑顔で対応していた私ですが、一人一人との思い出を思い返しながら挨拶しているうちに次第に涙目に。
そしてマリー先生の親向けの英会話レッスンのメンバーが寄せ書きのカードをもってやってきました。PSGのメンバーとしても親しくしていたママ達です。昨年度同じクラスで今年度はクラスの違ったママ達も一緒にやってきて、代わる代わる私をハグします。
You are so lovely! You are a special friend of mine! We will miss you!!
私は頷くのが精一杯でした。もう涙腺大崩壊です。
きわめつけはタロのクラスメイトのママ、ミナと、特に接点はないもののよく挨拶を交わしていたビオレッタ。二人は思い切り強い力で私をハグしました。思いがけないことでびっくり。むぎゅーーーーって。
想像もしていなかった抱擁の嵐に、戸惑いながらも、どの人とも別れが惜しくて、悲しくて。そしてそんな私の気持ちと同じように、相手も思ってくれている。私のこの学校での1年10ヶ月はなんて幸せだったのだろうと思いました。
この日はタロジロに取っても学校最後の日で、彼等の心情にもっと気を払うべきなのに、そんな余裕は全くなく、私自身のお別れの悲しみの中にどっぷり浸かっておりました。
残念だったのは校庭に出る前に一階のホールでもみくちゃにされたために、校庭で会いたかった人、会って挨拶したかった人に会えなかったことでした。先生方も研修でおられない方もおり、タロジロへの温かい指導に対して満足にお礼が言えなかったことも心残りです。
子供達のインターナショナルスクール生活。それは私にとっても学びの場であり、かけがえのない友人に出会えた場でした。
You’ve enjoyed yourself
エリザベスの言葉に自分の二年間を少しだけ誇らしく思えました。と同時に、そうやって作ってきた友人達とのお別れは私にとってこの上なく悲しいものだったのです。
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あと二日
http://ukiukilife.exblog.jp/3161284/
2006-05-31T09:24:00+09:00
2006-06-01T04:53:23+09:00
2006-06-01T04:51:43+09:00
shipmaker
ごあいさつ
道ばたでばったりと会った友人や、学校の校庭ですれ違うママ友達。これまでだったら「またね〜」「今度ゆっくり会おうね〜」なんて軽く挨拶を交わし、別れるのですが、ここ数日はもうこれが最後かもしれぬと、会う人会う人にこれまでの感謝の気持ちを伝えてきました。すでに涙腺が崩壊しているので、ちょっとしたことですぐに涙ぐんでしまいます。この二年間のいろんなことがまさに走馬灯のようによみがえってくるのです。不思議なものですね。
タロのクラスメイトのママ、ヨハンナにこれまでの感謝を伝え、いつかまた会いましょうと挨拶しているうちに、彼女のこれまでの優しさが思い返され、涙があふれてきました。そんな私に彼女はフランスのことわざを教えてくれました。私の日本語訳が正しければ、こういった内容です。
人は慣れ親しんだ土地や人と別れる時に、少し死ぬのだ
だから私が今とても寂しく悲しい気持ちは当然のことなのよ、とそっと肩を抱いてくれました。そのくらい別れというものはつらいのだ、ということでしょうか。身を切られる程の辛さ、という表現がありますが、確かに今の私はそんな心境です。
今日もまた何人かの友人、先生に別れの挨拶をしました。明日が学校の最終日なのですが、明日学校行事や個人的な都合で会えない人に挨拶しておきたかったのです。たくさんの温かい言葉をもらいました。子供達はそれぞれクラスメイトの家におよばれされて、いなかったのをいいことに、学校からの帰り道、涙を拭き拭き歩いて家まで向かいました(変なアジア人と思われたことでしょう)。
scheepmakerskadeー直訳すると、船作りの埠頭、って言う感じでしょうか。私の二年間住んでいたフラットの通りの名前です。通りというより、運河に突き出た埠頭なんです。オランダらしい通りの名前に親しみを感じ、このブログのハンドルネームをshipmakerにしました。
この界隈とも、明日お別れです。学校が終わったらフラットを引き払う予定です。
今日航空便を出しましたが、まだ依然として散らかっているリビング。終わるのか?終わらさねば!予定通り無事帰国できるか乞うご期待、です。]]>
バンブーフルートを聴きながら
http://ukiukilife.exblog.jp/3153394/
2006-05-29T22:43:00+09:00
2006-05-30T05:28:32+09:00
2006-05-30T05:15:26+09:00
shipmaker
友達
今朝起きたら、ジロがご機嫌な表情で「一個寝たから、あと4sleepsだね!」というのを聞いて、お願いよ、数えないでよ!と本気で悲しくなってしまいました。あと5日!ええ、もうそんななの?って愕然とします。
帰国はこの二年間待ち望んでいたことでした。待っていてくれる家族や友人に会えるのです。夫の留学という特殊な生活から『普通の』生活に戻れるのです。正直ホッとしてます。しかし、その反面、慣れ親しんだ街と、友人とのお別れは本当に悲しいです。何とも言えない気分で学校に向かったら、ジロのクラスメイトのママが「最後の一週間が一番辛いものよ」と声をかけてくれました。飛行機に乗ったら気持ちが落ち着くから大丈夫よって。そうか〜今一番辛い時なのか、と妙に納得。
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で、今日はタロが3月から取り組んでいるバンブーフルートが完成し、他の仲間とともに簡単な演奏会を開くことになっておりました。お隣のマリーンさん宅にのべ10回以上通ったでしょうか。途中、竹に亀裂が入るというアクシデントがありましたが、湿度の関係でたまにあることらしく、マリーンさんが接着剤とテープで見事に修復してくれました。
ホールの一つに2006年と作った年を書き込みました。世界に一つだけのタロのフルート。
日本の小学校で習うリコーダーと少し指の動かし方が違うような....。
毎回フルート作りの最後に出来上がったホール(音)だけを使って、簡単な曲を演奏できるように手ほどきしてくれます。タロはドレミ、でなくてdef...で音階を学んでしまった...。
フルート作りの最中に、最初のホールを開けた日にはお祝いのお菓子を食べ、完成したあかつきには仲間が集まって演奏会をするのがマリーンさん流のやりかたです。今日はタロのフルートの完成を祝うためのコンサートです。彼女は近所や親戚の仲間にこのバンブーフルート作りを教えていて、この日は7人の仲間が集まりました。
夕食後の7:30、コンサート開始です。今日集まったのは、主にご近所の顔見知りのおば樣方。タロより一つ下の男の子、ボーイくんもいます。
笛なんて吹いたことのないタロ。教えたこともない私。なのに、マリーンさんのスペシャルレッスンで、結構速いテンポの曲も演奏できるようになっていたので驚き!が、悲しいかな、負けず嫌いのタロ、途中で速い指の動きについていけなくなって、悔し泣きをしてしまいました....。こういうところ、生真面目なんですよね。できなくても知らんぷりしていればいいのに、できないんです。おば樣方に「すっごく上手よ、ちょっとのミスなんて気にしないで」と励まされがんばるタロ。約30分のミニコンサート、バンブーフルートの優しい音色に癒されました。
しかし。しかし、ここからがもうボロボロでした。ご近所のおばさま方に囲まれて、「いつ出発するの?え?今週末?ああ、寂しくなるわ、残念だわ」なんて言われて涙ぐまれたら、もうアウト、でした。涙腺緩みまくってます。全員に握手しSee you againと言ってお別れしました。
今日の午後は、マリー先生の親向けの英会話の最後のレッスンだったのですが、なんとレッスンのメンバーが私に内緒でメッセージカードの寄せ書きをしてくれていたのです。マリー先生にも「さみしくなるわ」と涙ぐまれ、肩を抱きしめられたら、涙腺崩壊(T_T)
マリー先生との最後の挨拶をきっかけに今日はダメダメモードです。いつまで続くのだろう。オランダを去る日まで??
私がオランダを去るのを寂しく思うように、私の帰国を寂しく思ってくれる人がいる。ありがたいことですね。幸せですね。あー明日はまぶたが腫れている〜。]]>
Best brother
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2006-05-28T22:38:00+09:00
2006-05-30T04:43:26+09:00
2006-05-30T04:43:26+09:00
shipmaker
エトセトラ
って誰??これはジロの発言です。ある晩、「お母さん、タロね、Best brotherなんだよ」と言うではありませんか。はて、なんで?「あのね、仕上げの歯磨きしてくれたんだよ」ほほー、なるほど。
寝る前の歯磨きタイム。自分で磨いた後は「仕上げはおかあさ〜ん」と呼ぶのが我が家のきまりですが、そういえばこの日はその声が聞こえませんでした。タロに仕上げをしてもらったジロ、どうやら感謝しているらしい….。
また別の日、突然「オレね、35歳になったら、タロにプレイステーションを買ってプレゼントしてあげる」「????なんで!?」「だって、タロ、誕生日にプレイステーション欲しいって言ってたでしょ。オレね、大人になって仕事してお金をゲットしたら、タロに買ってあげるの」
これはどうやら、8歳の誕生日にプレイステーションをあきらめたタロへの思いやりらしい…。
タロとジロの関係はこの二年間で大きく変化をしました。渡蘭前は兄を「にいに」と呼ぶ従順な弟くんだったジロは、オランダに来て、学校生活を通して兄を「タロ」と呼び捨てにするようになりました。日本人の感覚だと兄を呼び捨てってどうよ、って思いますが、欧米では普通の感覚ですかね。そして、学校で仲間とのやり取りの中で逞しくなったジロは、タロの言葉や態度に反抗するようになりました。従順な弟から兄と対等に張り合うライバルに代わり、喧嘩も日々激しくなってきました。それでも兄、弟とは特別な関係らしく、かばいあったり、助けたり、兄弟愛というものはあるのだなあと感じる今日この頃です。私には同性の兄弟がいないのでよくわからないのですが。
Best brotherとタロを評したその晩、「ジロはタロのこといいお兄ちゃんって思っているんだねえ」ってベッドの中でもう一度聞いたら、
「Sometime」
ですって。爆笑!そうだね、時々はいいお兄ちゃんだね。的を得た答えだ。
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今日はゆーちゃん一家と、我が家でミュージアムパークの中のキッズレストランで夕食をともにしました。ゆーちゃんのパパも、我が家の夫も一緒です。以前からこのような機会を作りたかったのですが、やっと実現しました。楽しそうなゆーちゃん、タロジロを見て、実現できてよかった〜と私も嬉しくなりました。
ゆーちゃんとママにはオランダ生活をどれ程支え、助けてもらったことか。ここオランダでもう会えなくなるんだ、休みの日に遠出をしたり、近所の公園で遊んだりできなくなるんだと思っても、なんだか実感が伴いません。
帰国まで5sleeps(ジロがしつこく数えている)
分刻みとは言いませんが、時間刻みのスケジュールになってきました。リビングにはスーツケース、航空便用の段ボールなど、散乱しております。片付け、掃除、果たして終わるのだろうか。そんなことは言ってられない、終わらさなければ。現実逃避にパソコンに向かう時間ももうとれなくなるかな。
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「また今度ね」と言いながら
http://ukiukilife.exblog.jp/3142535/
2006-05-26T22:54:00+09:00
2006-05-27T14:34:59+09:00
2006-05-27T14:20:41+09:00
shipmaker
友達
連休前日の24日の夜、夫の研究室のフェローが送別会を開いてくれました。子連れでも大丈夫なように、場所はいつものアルゼンチンの肉料理のレストラン。私はもっぱらメキシコ人フェローのヘクターの奥さん・ルルと話しておりました。子供達はヘクターの息子・アンドレアとレストラン前の広場でずっと遊んでましたね。寒い夜だったんですけど。
ベルギー人、イギリス人、オランダ人、メキシコ人、そして(この夜は当直で欠席でしたが)ギリシア人.....と、フェローの国籍は様々。私と子供達は、これまでなかなかフェローの集まりには参加できず(夜の集まりが多いので)、この日初めて会うフェローもいましたが、皆さん気さくで親しみやすい方ばかり。みんなある意味ライバルですので、フェロー同士駆け引きやら、緊張関係にある研究室もあるようですが、この仲間達は皆、支えあい、助け合ってきた仲間だったようです。夫はフェローのメッセージの書かれたラグビーボールをもらっていました。
翌日は午後からタロジロのお友達と近くの海洋博物館で遊びました。たっぷり遊んで別れる際に「また今度ね」と言う時、何とも言えない感情がこみ上げてきます。
前日夜の送別会でも、フェローの一人一人と握手しながら「またいつかお会いしましょう」「いつか日本に来て下さいね」なんて言いながら、嗚呼、この人たちに、また今度、シーユーアゲイン、と言っても、来週会える訳ではないのだと、とても複雑な気持ちになったのでした。
先週からお友達と会う約束が続いていますが、別れる際に「じゃあ、また今度」と言いながら、その『今度』は決して現実的でないことをふと実感し、猛烈な寂しさに襲われます。勿論、永遠の別れではありません。望みさえすればいつかまた会えるでしょう。でもそれは来週じゃない、来月じゃない。
私はもうここから遠く離れた日本に帰ってしまうのだ。]]>
スキーダム半日観光
http://ukiukilife.exblog.jp/3140102/
2006-05-25T21:15:00+09:00
2006-07-20T14:12:29+09:00
2006-05-26T21:37:36+09:00
shipmaker
おでかけ*オランダ
水曜日の学校は半日上がり。学校に子供達を送って、8:45。お迎えのために12:15までに再び学校に行かねばならない、正味3時間半のお出かけです。こんな慌ただしいお出かけに付き合ってくれたのは、日本人のご近所仲間RさんとMさん。ありがとう〜〜。
さて、今回の目的は、最近リニューアルオープンしたスキーダムの市立美術館を観に行くことです。リニューアルの目玉として、ピカソ、ミロ、クレーなどの有名画家の作品がきているのです。美術館の開館時間10時まで、街を散策します。
メトロを降りてまず目に飛び込んでくるのは大きな風車。スキーダムの市街には4つ程風車がありますが、この手前の風車がどうやら世界一の大きさらしいです。現在の風力発電用の風車はもっと大きいでしょうが、このオールドスタイルの風車で世界一ってことかな。
あいにくの曇り空ですが、スキーダムの街の運河の眺めはとても可愛らしく情緒がありました。
美術館が開くまで、ちょっとお茶でも…とRちゃんお勧めのチョコレートショップへ。チョコレートと言えば隣国ベルギーが有名です。オランダのチョコレートはケーキと同じで激甘。でもここのチョコレートはベルギーにも負けないくらいの美味しさ。甘いだけでない、チョコとミルクのコクと風味が抜群です!以前何度かお土産で頂いたことがあるのですが、お店にくるのは初めて。
おいしそうなチョコレートの数々。この中から一つ選んで、コーヒーか紅茶とセットで3.5ユーロ。店内併設のカフェで楽しむことができます。
三人ともHONEYという蜂蜜フレーバーのチョコレートを選びました。フレンチプレス式のコーヒーと一緒にチョコレートを楽しみます。美味しかった〜〜。濃厚なミルクの風味。蜂蜜の香り。至福の一時。
店頭にはチョコレート細工も沢山。ホワイトチョコで作られたデルフト焼き風の置物。オランダちっく。お土産に何か…と思いつつ、チョコレートを日本まで運ぶのは難しいなあ〜と思い断念。ホットチョコ用の粉末だけ購入しました。温かいミルクに混ぜるのだそうです。
そうこうしている間に美術館開館時間。小さな街なのに立派な美術時間ですね。オランダにはどんな小さな街にも美術館があります。ああ、もっと行っておけばよかった。
ピカソの作品は若い頃の青の時代や、晩年のペン画?デッサン?のようなものが好きです。今回の特別展企画はオランダの画家に影響を与えた抽象画、ということで、ピカソのこの一枚が目玉だったようです。
私の好きな作品もありました〜〜。
抽象画は難しいですね〜。ミロやピカソの作品は有名ですから、ふふーん、これがそうか、って思うんですけど、他の画家の作品の良さは、残念ながら難しすぎてわかりませんでした(涙)オランダは現代アートも盛んで、お好きな方も多いようですね。この美術館自体、現代アートの展示が常設のようです。
あっという間の半日でしたが、チョコレートショップ、美術館を堪能し、学校のお迎えに向かいました。Rさん、Mさん、楽しい一日をありがとうございました。
現代アートがメインの美術館らしく、館内の表示もなかなかユニーク。
トイレの場所をなかなか探せずにいたら…
ここでした(ちなみに、これは車いすの方用トイレの表示)。絵だけでトイレの文字はどこにもなし。
では、これは何の表示でしょう???
答えはリフト(エレベーター)でした
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Count your age by friends, not years
http://ukiukilife.exblog.jp/3133373/
2006-05-23T18:45:00+09:00
2006-05-27T02:46:38+09:00
2006-05-25T00:21:23+09:00
shipmaker
友達
帰国前の今、読み返すと、二年間のいろんな思いがよみがえります。改めてご紹介。作者は不詳のようです。
Count your garden by the flowers,
never by the leaves that fall
Count your age by friends,not years
Count your night by stars,not by shadows
Count your years by smiles,not tears
オランダ生活で、しんどい時、悲しい思いをした時、悔しい思いをした時、この詩の書かれたカードを見て、元気を取り戻していました。
最近つくづく思います。私のオランダでの二年間の宝物は『友達』だったと。ここオランダで私は二歳年を重ねましたが、まさに二年間で素晴らしい出会いに恵まれ、友達が沢山できました。
I can count my age by friends! です。
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昨日はご近所のRさんのお宅で日本人の友人による私の送別会が開かれました。小さいお子さんのいる方・二人がお子さんの熱で欠席になってしまったのは残念でしたが、友人手作りの持ち寄りランチを囲んで、楽しいひとときを過ごしました。
私の住んでいるエリアはセントラム(街中)で、学齢期のお子さんのいる世帯は、環境の良い郊外に住んでいる方が多いようです。街中に住んでいると、日本人のお友達ができないかな、って心配したこともありましたが、ふたを開けてみれば、沢山の日本人の友人に恵まれ、支えられて今日までやってこれました。
セントラムに住む日本人は、年令も家族構成も、オランダに来た理由も様々で、それぞれがお互いの立場を理解し、尊重した上でお付き合いができました。立場の違う人の話を聞くのはとても新鮮で面白く、いい刺激になりましたし、私の子供の学校に関する悩み事も、それぞれ違った視点で相談にのってくれて、とてもありがたかったことを覚えています。決してしょっちゅう会っていた訳ではありませんが、会えばいつも楽しく過ごせた仲間達でした。
頂いたメッセージカードを家で読んで、感極まって涙がこぼれそうになった私でした。オランダに来なければ出会うことのなかったであろう友人達。お世話になりました。出会えたことに本当に感謝します。
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