帰国してから一ヶ月が経ちました。私の英語は日々衰退の一途をたどっております。先週だったか、なんとオランダから国際電話で友人が電話をくれたのですが、帰国後はまさか英語で電話の応答をするなんて思ってもみなかったので、その友人からの電話は嬉かったのと同時にかなりうろたえてしまいました。私の英語がある程度使えるようになったのは、必要に迫られてのものだったとつくづく思います。今、日本語以外話さなくていい環境では、私の英語の貯金はあっという間になくなってしまうでしょう。
子供達ですが、日本語100%の小学校と幼稚園で一体どんな風にすごしているのでしょうか。タロとの会話の中で、彼が『全校集会』とか『清掃』とか『保健室』といった単語に戸惑っていることがわかりました。オランダでも家の中では日本語の会話でしたが、家の中で私と子供たちが交わす会話と、日本の小学生が学校で使う言葉には大きな開きがあることを改めて実感する日々です。一方のジロは、次々と新しい言葉を覚えて帰ってきます。『お当番さん』『召し上がれ』『七夕』『短冊』などなど。
二人は新しく学ぶ日本の言葉をどんどん吸収していきます。知らない言葉も周りの友達の反応や状況から英語に置き換えて理解をしているようですね。面白いのは、ジロ、幼稚園で運動会の鼓隊の練習をしたらしいのですが、『今日ね、オレね、drumをしたんだよ。stickをね、こう持って、先生がone,two,threeっていったらね、とんとんとんってこうやるの』なんて話してくれました。先生は太鼓、バチ、いち、に、さんって言ったはずです。それがジロの頭の中でどういう風に英語に変換されて、どういう風に先生の指示を理解したのか、彼の頭の中をのぞいてみたい気分です。
タロとジロは二人きりで遊ぶとき、自然に英語になります。日本人の友達が入ると日本語なのですが、二人の間では英語が楽なのでしょうか。
そんな二人に、英語の個人レッスンの先生をみつけてきました。
オランダにいるとき、タロの英語、日本語ともに言いよどみがひどく、幼少期に母語以外の外国語を学ぶことの怖さを知った私です。同年代の子に比べて日本語の語彙が圧倒的に少なく、会話力も低い彼等に、今、英語を続けさせる意味はあるのでしょうか。
その理由は三つあります。
一つ目は、タロもジロも日本語と英語の能力が拮抗している現状では、二つの言語が互いに影響を及ぼしあって、どちらも発展させてくれるのではないか、という考えからです。厳密には読み書き、会話、聞き取りなど、全てが拮抗している訳ではなくて、それぞれの能力において英語が優っていたり、日本語が優っていたりする訳ですが。タロの場合、言いよどみがあるのであれば、言語を一つにしぼって、日本語を集中して学んだほうがいいのではないかと、随分悩みました。でもタロが好んで英語を話す状況で、それを無理に止めるよりも、英語の会話、読み書きを続けることで、日本語の能力もひきあげられるのではないかと考えたのです。得意な方の言語をベースに苦手な言語を発展させていく、そんな可能性があるのではないかと。
二つ目は、タロに得意なものを残してあげたいという思いからです。日本の学校では、全てが初めて。二年生でありながら一年生と同じように、何から何までわからなくって、一つ一つを先生や友達に教えてもらわなくてはならない学校生活で、これだけは誰にも負けない、これには自信がある、というものが英語だとしたら、その砦を取り去ってしまいたくなかったのです。国語で漢字が苦手でも、算数の文章題が苦手でも、僕には英語がある、という心のよりどころは幼い子供にとって重要だと思ったのです。
そして三つ目。私自身が二年間英語を使って感じたこと。英語はとても便利だということです。インターナショナルなオランダのとある街で、インターナショナルスクールに子供を通わせて思ったこと。様々な国から来られている人たちの母語を話すことは出来ません。相手も日本語は話せない。だけどお互い英語が話せれば、コミュニケーションが出来るんですよ。素晴らしいことですよね。タロにもジロにもオランダのインターで沢山の友達が出来ました。その友達との貴重な出会いを大事に続けていきたい。だとしたら、英語は必須です。再会した時に、ちゃんと話せるように、友達としての繋がりを保ち続けるために、彼らにとって英語は重要なコミュニケーションツールなのです。
友人の紹介で知ったJ先生は50台のアメリカ人男性。陽気で朗らか。自転車で我が家まで出張レッスンに来て下さいます。タロもジロも水を得た魚のように、しゃべるしゃべる。止まらない。週に一回のこの時間が、タロとジロにとって楽しい時間であるうちは続けていこうと思っています。日本語があまり得意でないJ先生と、英語で話さざるを得ない私にとっても、英語をキープするいい機会になりそうです。