祖父が他界した。97歳。大往生、か。
連絡をもらったのは亡くなった日から日付を超えての深夜(日本時間)。その日の夜に通夜。翌日本葬。オランダとの時差、プラス7時間。フライト時間12時間。飛行場までの所要時間や待ち時間も入れると20時間。どうあがいても通夜はもちろん、葬儀にも間に合わない。
父も母も、来春帰国するのだから、その時に何度でも気のすむまでお参りして、と。葬儀に間に合わないのはわかっていたから、連絡もあえて急いでしなかった、と。会社の海外駐在と違って、研究留学。しかも私費留学。二年という短期間で結果を出さねばならない夫、そして限られた生活費の中での毎日、まさに時間的にも経済的にも余裕のない我が家の状況を気遣っての言葉なのだと思う。その言葉に甘え、帰国しないことにした。葬儀の終わった頃に子どもを連れてのこのこ帰っても、疲れきった両親をさらに疲れさせるだけかもしれない。そんな風にも思った。
それにしても、おじいちゃんはずっと元気でいるものと思い込んでた。人はいつかは死ぬものーと言う当たり前の事実に愕然とする。もう会えないのだという事実に涙が止まらなかった。オランダに発つ前「おじいちゃんは**が帰国するまでもう保たないかもしれないなあ」とそんなことを言うので「何を言うの。こんなに元気なんだからまた会えるに決まっているでしょう」と言い返した。
でもおじいちゃんの言う通りになってしまった。
97年というおじいちゃんの生きた年月。青春の真っ只中を戦地で過ごし、戦中、戦後の混乱の中三人の息子を育て、65歳まで会社で働いてきたおじいちゃん。退職後すぐに妻(おばあちゃん)を亡くし、それでもおばあちゃんの分まで生きることを楽しんできたおじいちゃん。俳句、書道、囲碁、ゲートボールなど趣味多数。何よりも旅行が大好きで、92,3歳まで一人であるいは友人と国内を旅した。ここ数年は足が思うように動かなくなり、外に出歩かなくなってしまっていた。それでも読書は欠かさず、新聞も二紙毎日目を通していた。
おじいちゃんの97年の人生に敬意を表し、黙祷し、葬儀に間に合うように弔電を打った。お別れに行けなくてごめんなさい、と。
おじいちゃんが90の時に生まれたタロ。92の時に生まれたジロ。二人とも「おおじいちゃん」と呼んで慕って、実家に行くと祖父の部屋にいりびたっていた。ふたりはおおじいちゃんの死をどこまでわかっているのだろうか。帰国したら、お墓参りに連れて行こう。いっぱい可愛がってくれたおおじいちゃんなのだから。